村上春樹スピーチを偏見まみれで解釈する。

村上春樹の、エルサレム賞受賞スピーチの全文。
http://anond.hatelabo.jp/20090218005155


この文章が僕の胸にグサッと刺さった。そして、きっとイスラエルの人たちにはもっと刺さっているんじゃないかと思った。どう刺さったか、それを偏見まみれで書く。


スピーチタイトルの「卵」と「壁」、それはスピーチの中で「私たち」と「システム」に置き換えられる。
イスラエル人の立場に立つと、このシステムは、社会システムに置き換えられると思う。
イスラエルは、平和運動をやろうとしたら非国民扱いされるという、非常にやりにくい状態にある。つい最近も、えらい軍人の娘さんが平和運動の一環で兵役を拒否して逮捕されたというニュースを見た。
戦争はいやだ、殺し合いはもうたくさんだ、と思っていても、それがおおっぴらにできない社会状況。それがイスラエルの「システム」だ。


自分がイスラエル国民だったら、こんな状況はさぞかし不本意だろうと思う。自国政府の侵略を批判しない、それで非国民扱いされないですむけど、同時にぬぐいようのない罪悪感の澱がたまっていく。
村上春樹のスピーチは、この罪悪感を、イスラエル国民の痛いところに刺さったんじゃないか。システムに逆らえず、不本意な殺し合いを止めることができない彼らに。


このスピーチは、同じように僕にも刺さった。僕にとってのシステムは、日本社会だ。
昨年末からの侵略に、日本でも多くの反対の声が上がった。でも僕は?なんにもしてない。そこには、どうせ声を上げたってなんにもなんないという諦めがあったのだと思う。これは、そういう声を反映しないシステムに、無言で従っていたということだ。


イスラエルにも日本にも、殺し合いをさせるシステム、他国の殺し合いを見過ごすシステムがあり、それに逆らわない僕らがいる。でも、そんなふうに、システムが僕らを従え、行きたくない方向に連れて行くのことを、僕らは許してはいけない。


というふうに、村上春樹のスピーチを読んだ。