台湾すげえ


台湾に行ってきた。

台湾は、実質的には"台湾共和国"である。
しかし国名は、中華民国になっている。
この中華民国という国名は、一個の空想と一個の現実でなりたっている。空想とは中国大陸のすべてとモンゴルやチベットまでこの台湾(中華民国)のものだということである。むろん、世界中のたれもが――むろん台湾人もふくめて――こんなばかなことを信じていない。

引用はすべて司馬遼太郎の『街道をゆく 40 台湾紀行』から。



僕らが訪れた2012年から117年前、日本は台湾を占領した。

台湾が日本領になった旨が台湾につたわると、反乱がおこった。なかには、独立を唱える動きもあった。台湾人としては、当然の感情だったに相違ない。
日本側としても、これを鎮圧せざるをえなかった。まず島の北部に兵を送った。通計5万の兵力がこの鎮圧に用いられた。
鎮定には、4ヶ月かかった。日本軍の損害は大きく、5万人のうち5千人が死に、1万5千人がマラリア赤痢にかかって、戦闘力をうしなった。大戦闘なみの損害といっていい。



3泊4日のツアーだが、夜着いて朝帰るので、実質2日間しかない。他のツアー客とまとめてバスに乗せられ、それぞれのホテルに送られる。



台湾占領から50年後、日本は太平洋戦争で負けた。台湾は蒋介石麾下の中国軍に占領されることになった。

やってきた陳儀以下の軍人・官吏は宝の山に入りこんだ盗賊のように略奪に奔走し、汚職のかぎりをつくした。
「犬(日本人)が去って豚がきた。犬は小うるさいが、家の番はできる。豚はただ食って寝るだけだ」
という悪口が流行した。犬も豚も、外からやってきた"国家"だった。

直後、二・二八事件が起こり、2万8千人もの本島人が殺された。以後40年間、抑圧が続いた。

1日目


故宮博物館を目指した。途中士林駅の近くで朝ご飯を買って食べる。このムキムキのお兄さんがつくるおにぎりがやたらうまい。

1949年、共産党に敗れた蒋介石は、中華民国という国家ごと台湾に移った。故宮博物館に所蔵されている中国歴代皇帝のコレクションも、このとき一緒に移された。



台湾なう。「天下ヲモッテ公ト為ス」

途中、蒋介石の巨大な銅像の前をすぎた。
銅像の基壇に「天下為公」とあったのは、冗談のような気がした。
すでにふれたことだが、中国の王権が、公であったことは一度もなく、毛沢東蒋介石でも、かれらにとって権力は私物だった。

故宮博物館では、戈の先端部の意外な小ささに興奮したり、蒼天航路で描かれた酒器の実物を見て興奮したり、明代の緑釉の器を見て古田織部に思いを馳せて興奮した。



猫の町として名高い師大路に向かう。



すり寄ってきたので興奮して小一時間遊んだ。縁石に腰掛けた僕の足の下をくぐり抜けるのが気に入ったようだった。

犬もいた。

たくさんいた。



猫カフェで休憩したあと、師大路夜市へ。学生街らしく、おしゃれな服屋と屋台が渾然とあった。

服を2着買った。台湾製の他、韓国製も多かった。日本と比べて安いし、デザインがかわいい。

行列ができていたので旨いに違いないと思い、それとは知らず滷味(ルーウェイ)の屋台に並ぶ。材料を選んでざるに入れ、お店の人に渡して調理してもらう。

「スパイシー?」と聞かれたので、「スパイシー」と答える。

できあがったものを持って店内に入る。若い人が多かった。



TAIPEI101

外省人は、戦後大挙してやってきて、ある時期までは征服者同然に政府機関の要職をすべて独占した。が、いまは逆転とまではゆかないものの、本省人(本島人)もすこしは元気になっている。なにしろ五年前の1988年、本島人の李登輝氏が総統に就任するという、それまでの台湾では考えられない時代に入っているのである。
おそらく本島人が経済のみに専念してきて、結果として外省人による支配の構造を無力にしてしまったことによるかもしれない。

歴史が経済で動くという典型を、これほど、露わにした事態もすくないにちがいない。


遠藤さんの記事で行きたかった誠品書店。店内写真を撮ってしまったけど撮影禁止だったので掲載しない。コンピュータ関係の技術書は少なかった。ラクダ本はあった。

「いや、私は日本に住んでいるので」
日本が世界有数の書籍文化の国であることは、李登輝さんはよく知っている。本を読めばわかる。

この本が書かれたのが19年前。このとき既に誠品書店はできていた。今では互いに誠品書店とジュンク堂を自慢し合える。

2日目


ホテルの朝食の評判が良くなかったので、この日も外で朝ご飯を食べた。24時間やってるお店。揚げパンの入った豆乳スープ(鹹豆漿)がおいしい。

バスで九份に向かう。千と千尋の神隠しのモデルになったらしいということで有名だが、一歩路地に入ると日本統治時代の石造りの町並みが残る。

ここも猫が多かった。

家の前や横の空間をつないでできたような道。行き止まりそうで遂に行き止まらなかった。

日本統治時代、山地人による大小の反乱が、いくつもあった。
反乱の原因はすべて、他人の郷国を――日本が――植民地にしたということに尽きる。
人間は、自尊心で生きている。他の郷国を植民地にするということは、その地で生きているひとびとの――かれら個々の、そして子孫にいたるまでの――存在としての誇りの背骨を石で砕くようなものである。

1945年に分離するまで、そこで生まれて教育をうけた台湾の人々が、濃厚に日本人だったことを、私どもは忘れかけている。

ところが、もう一度、昭昭さんは、
「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」
と、大きな瞳を据えていわれた。たずねている気分が、倫理観であることは想像できた。
考えてみると、彼女の半生をひとことでいえば、水中の玉のように瑩として光る操なのである。こういう人の前では、答えに窮したほうがいいとおもった。



観光地のメイン通りに戻ってきた。

ここにも犬が多い。


土産物屋街で見つけた魯肉飯。小皿1杯分。最高。

市中のいたるところに、
「檳榔(ビンロウ)」
という看板が出ている。地面の人である池辺史生氏は、その一つを買って、口にほうりこんだ。キャラメルの箱のようなものに十粒ほど入っている。箱には美人の写真などが印刷されている。ややいかがわしい。
噛むと赤い唾が出る。池辺氏はのみこんだが、ふつうは路上に吐きださねばならない。
かじっているうちに軽い陶酔感、もしくは覚醒感がやってくるといわれている。

旅行前には檳榔を体験してやる気満々だったが、結局ビビって買えなかった。
ここは観光地だからか奥まったところにあったが、台北の町中では普通に屋台で売ってた。



永康街に行く途中に中正記念堂に寄った。蒼天航路で描かれた宮殿のスケールを実感できる。



永康街。服を買ったりかき氷を食べたりした。路地裏がよい。


光華數位新天地。7階建てのビルに秋葉原が凝縮されていた。着いたのが閉店前で、そこかしこの店で店員が飯を食っていた。

ビルの外も電脳街。



馬英九総統も好物だという丸林の魯肉飯。雨が強くなり士林観光夜市には行けなかった。