町田康『告白』

ずっと読みたいと思っていて、たぶんいろんなところですげえすげえと評判を聞いていたからだと思うけれど、直接的にはこの書評がきっかけだった。
http://d.hatena.ne.jp/roku666/20061114/p3
2泊3日の箱根旅行で、かなりの時間をホテルの部屋で過ごして集中して読みきった。がーっと読んでよかった。


河内音頭に唄われる「河内十人斬り」事件がモデルの小説で、最終的に主人公の熊太郎は10人殺して自害するというのが帯に書いてある。で、熊太郎のひねくれた子供時代から、どのようにそんな事件を起こすに至るのかを興味津々で読み進めていくのだが、文の大半を占めるのは、表面的にはひねくれた熊太郎の、アホらしく内向していく思考のグルグルで、そのアホさ加減と根の悪くない奴というところで、アホだなあと思いながら共感していき、逆に普通の人々であるはずの村人が、なんだか人間ではない、自分とは別な生き物のような気になってくる。
そしてひねくれながらもたまに何かしらを伝えようと一生懸命にやって、そのたびに言葉が上滑りしてなんにも伝わらないという様を、熊太郎の意気込みや焦燥やがっかり感込みで何度もトレースするうち、ついに熊太郎は僕だ、と思い至る。
いや、他の部分について僕と熊太郎が似てるところはそんなに見いだせなかったのだけれど、伝えようとすればするほど言葉が上滑るという感覚にだけ、それちょうわかるとどっぷり熊太郎と重なってしまうのであり、そんなことになっていた会社での打ち合わせや、ボランティアでのミーティング、妻とのケンカを思い出し、熊太郎、俺も俺もと慰められるのだ。


でも僕と熊太郎は違う。決定的に違う。それは熊太郎が、土地に固着し、いつまでも同じ人間関係の中で生きたことだ。自分を取り巻く社会との人間関係を、幼い頃からずっと引きずって生きたということだ。時代性もあるだろうが、僕らは今いる人間関係からサックリ抜けることができるし、僕も今まで散々抜けてきた。この抜けられるという前提があるから、人間関係に対するある種の見切りがある。
熊太郎はいつまでも水分村に居る。村を抜けるなんてこと、思いつきすらしない。だから考えの中心にあるのは村人との人間関係であるし、村の中での自分の立ち位置で、それをグルグルグルグル考えるからヘンな方向に自分を追い詰める。おかしくもあり共感もするが切ない。


熊太郎は追い詰められ、追い詰められ、土壇場でキレる。キレて土壇場を脱するということを、人生の中で何度か繰り返す。このキレる際、熊太郎は自分がもっとも望んでいて、ぜんぜんできないと思っていること、すなわちグルグルグルグルうずまいてる自分の考えを素直に表現することを、する。
このコミュニティに対する誠実さ、ひいては自分自身に対する誠実さ。これが熊太郎の根幹にある。自分を振り返り、この何分の一かの誠実さでもあるだろうかと問うてしまう。
そして、それだけの誠実さがありながら、望んだ関係を築けない。築けないからこそ熊太郎が自分に課す誠実さはさらに深みを増し、ついには10人斬りから自害へ至る。読後しばらく残るこの切なさ。なんなの。

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)