吉本隆明の「友だち」

小中高大、そして社会人と歳を重ねていくにつれ、人見知りの性格が災いして、友だちが出来にくくなり、友だちと遊ぶという機会がどんどん減っていった。
ものすごい残念で、なんで友だちが出来ないんだろうなあ、おれはダメだなあと思っていたのだけど、吉本隆明の言葉を読んで、その気持ちが少し救われたことがある。
それは、『悪人正機』という本で、吉本隆明が「友だち」ってなんだ?というテーマで語った言葉。

まあ、青春期の入りかけの頃っていうのは、生涯の中で唯一、なんかあった時にはお互い助け合える関係の友だちができる可能性のある時期だと思うんですよ。その時期を逃したら、もう、ちょっと不可能だと思いますね。

吉本隆明悪人正機』「友だち」ってなんだ? P.38,39

実際、その時期の友だち関係をずっと持続できたら、文句なしで、それは本当に本当にたいしたもんなんです。なおかつ、そういう友だちがひとりでもふたりでもいたり、利害とか生死とか、そういう際どいものも含めて持続できたら、その友だちはその人にとって宝物みたいなもんなんでね。
でも、たいていの人はそういうことはないんです。普通はゼロなんですよ。まあ特別な人で三人もいるよって人もいるでしょうけど、それは、それだけのことであってね。
よく「俺、友だちたくさんいるよ」なんて言うヤツいるけど、そんなの大部分はウソですよ(笑)。結局、ほとんど全部の人が本当は友だちがゼロだと思うんです。
もちろん、人間には性格的に社交家の人とそうじゃない人もいますよ。でも、社交家だからいいとか、そうじゃないと損でポツンとしてるってことはないんですよ。
結局、どっちだって同じ、どうせひとりよ、ということなんです。月並みだけれども人生というのは孤独との闘いなんですから。

同書 P.41


自分を振り返ってみると、その時期の友だちというのは、高専時代の寮の友だちなんじゃないかと思う。ちょうど数日前、そのうちのひとりの結婚式で久々に皆と顔を合わせた。7年ぶりに会うにもかかわらず当時のノリがすぐ戻ってきて、やっぱりこのメンツはいいなあと思ったけど、一方でどこか当時と変わった面というのも感じていた。
持続できてるかといえば、微妙だなあ。

悪人正機 (新潮文庫)

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